田舎暮らしエッセイ集

・庭作り  ・田舎暮らしについての雑感  ・温泉郷は自然がいっぱい
・平野さんの思い出  ・バラの想い   ・しらかばの森だより
 

 
                             庭作り
 
 10年前、永年のボヘミアン生活に終止符を打ち、百坪の庭がとれるこの八幡平温泉郷を永住の地と決めた。
 念願の百万本のバラを植えよう ! (おおげさ)
 バラには年季の入っている小生としてはバラを引き立てるには緑の芝生が絶対必要不可欠と考えている。
 それもまっ平じゃダメ、北海道の牧場のような起伏を作ろうと決めた。
 いよいよ、作業開始、谷を作り、その土を運んで岡を作る。
 小石が多い、掘っては石をどける、その内に小石だと思って掘っている石がどうしても動かない。
 始め簡単にどけられると思っていた石は結局、1メートル以上掘って、やっと掘り出せる位の大石だったことに気が付く。
 さて、この大石を運ぶのが一苦労、なんせ初めて使う一輪車、これが結構腰高なのである。
 渾身の力で石を一輪車に乗せ、調子をとって運んでいる最中、ゆれて、ぐらっと石がずれて重心が変わる、片方の腕に力をこめて踏ん張る、さらに重心が外れる。
 もう駄目だ、こらえ切れなくなってゴロンと落下、こうなったらもう一回持ち上げて運ぶ体力も気力もなくなってしまう。大休止。
 そんなこんなで1年が経過し、月世界のようだった庭も微妙な起伏の岡や谷に変わった。
 庭も変わったが、この色白の男は黒い肌の男性となり、華奢なガイコツ男は筋肉隆々とした(といってもガイコツに肉がついてるだけ)の老人に変化した。
 さぁて、次は芝生だ。
 届けられた蒔き芝の種を見て驚いた、胡麻つぶなんてもんじゃない、そうね、食卓の粉コショウみたい。「えっ、これを百坪の均等に蒔けって ? 」
 人はしたり顔で「砂と混ぜればいいんですよ」とおっしゃる。 実験してみた。
 良く混ぜても、ちょっと揺らすだけで軽い種はふわっと表面に浮かび上がってしまう、これじゃ、どうしようもない。
 結局、薬包紙の大きさの包みを50個つくり、これに百坪分の種を50等分して入れた。 1袋分2坪だ。
 ついで、ビニールテープで庭を50等分にして1区画に1袋を丁寧に蒔いた。
 そして、1週間たった。 庭がなんだか変だ。
 岡のてっぺんは緑がぜんぜん無く相変わらずのむき出しの土で、低い谷の方だけ緑になっている。
 ややっ ! こっちの顔が真っ青。
 もっと変なのは東隣の空き地が一面に緑だ。
 「犯人は風だ」やっと気付く。 そういえば、蒔いて二日目の朝、西風がちょっと強かったなぁ。 種が東の方角に飛ばされたんだ。 ちょつ、やり直しだ。
 その時、二階からワイフの黄色い声 「ちょっと来て ……」
 飛んで行くと洗濯機を指さしている。 覗き込むとギョッ !
 くず取り袋に芝が青々と育っているではないか。
 洗濯された作業服のポケットにも芽こそ出てはいないが細かい種がびっしりへばり付いている。
 薬包紙のおこぼれだ。
 妙に納得してしまう。
 素人の庭作り、すったもんだがありました。    終わり。

                                    (鳥畑 吉夫)
                  田舎暮らしについての雑感

 
日本が奇跡的な経済成長を遂げ、やっと先進国の仲間入りしてものの、いささか仕事にも疲れが出てきたのだろうか、都会の人々の間には「田舎暮らし」が静かなブームになってから久しい。
 いかに人々の間に「田舎暮らし」の願望が強いかは、本屋の趣味のコーナーを覗いてみれば一目瞭然、「夢田舎」「田舎ぐらし」「田舎暮らしの本」「ほしいリゾート」「ウッディハウス」等々関連の雑誌が数多く並んでいて、こんなにあってよく売れるものだと感心するほどである。
 また、この手の単行本もベストセラーになったこともあり、有名なものでは、ピーター・メールの「プロバンスの12ヶ月」が筆頭に上げられるだろう。
 ベストセラーになったお陰でプロバンスが一躍脚光を浴び、例によって日本からの団体客がわんさと押しかけてフランスでも一時話題になったほどである。
 この類の本としては、今や古典ともなった、ヘンリー・D・ソローの「森の生活」という、田舎暮らしマニアのバイブルともいえる大作もある。
 日本の江戸末期に書かれたこの大作は、全編哲学的でいささか難解なのが欠点でもあるのだが、現代でも結構読まれているのは、何時の世でも多くの人間が静かな森の中で暮らしてみたいという願望を持ち続けている証拠でもあろうか。
 最近の本では、ドロ亀さんの書いた「樹海」も素敵だ。ドロ亀さんの本当の名前は高橋延清といい、東大の名誉教授なのだが、一回も教壇で講義をしたことがないツワモノとしても有名な方だ。
 岩手県の沢内村の出身で、ドロ亀さんの兄や二人の弟もそれぞれの道で一家を成した方々ではあるが、その四人兄弟の生き様はNHKの全国放送でも二度ばかり放映したので、ご承知の方も多いことだろう。ついでながら、作家の高橋克彦さんはドロ亀さんの甥にあたる。
 ドロ亀さんは人生の大半を北海道の東大の試験林で研究に没頭しただけあって、かなり俗ばなれはしているが、堅物でも偏屈ものでもないので、本も読みやすく、特に山小屋で孫と過ごすくだりなどはなにかほのぼのとした情感があって私の好きな箇所でもある。
 ところで、本で読んでいるうちは「田舎暮らし」もロマンいっぱいで楽しいことづくめのようだが、実際実行に移すとどんなことになるのだろうか。
 憧れの田舎に引っ越してきても、都会生活に慣れきった人には、その不便さに閉口して挫折してしまったというケースもあると聞く。結局田舎のよさは認めても、都会の便利さも無くしたくないという、はなはだ都合のよい事情もあるようだ。
 それならば、設備の完備したリゾート地だったらなにも問題が無い筈と、一大決心のうえ、貰ったばかりの退職金を叩いて憧れの山小屋を建ててみた。
 なるべく物は買わないようにして、盛岡の自宅で持て余していたガラクタをまず最初に運び込んだ。
 盛岡の自宅も大分手狭になってきていたので、さぞかし盛岡の家にも空間が出来るものと期待していたが、あんに相違してほとんど以前と変わらなかったのは不思議なことではあった。
 一応住むための最小限度の物は揃ったのでいよいよ山小屋での初夜を迎えることとなったが、まず自分専用の温泉に入れる贅沢にはいささか感激した。
 翌朝、温泉のぬくもりがまだ身体の芯まで残っていて、だるくてなかなか起き上がることが出来ないまま布団のなかでぐずぐずしていると、鳥のさえずりの賑やかなこと。これぞリゾート暮らしの醍醐味か。雉の声をがこんなに近くで聴けるとは正直驚きでもあった。その内に目の前をくだんの雉が悠然と歩いて行くではないか。最初の訪問客でもあるので、こやつとは長く近所付き合いをせねばならないと勝手に思い込んだりしているうちに友人達がもの珍しさに押しかけてくるうちにいつしか雉のことは忘れてしまった。
 友人がブルトーザーで遊びに来たのには驚かされた。どうやら、敷地のあまりの雑然さに見かねての来訪らしい。
 友人はブルを自分の手足のごとくあやつり、ものの半日もしないうちに空き地をみごとに平坦地に変身させた。
 私は、友人の好意に報いるためにもこの平になった敷地をなんとか庭らしきものにしなくてはと思い、全面野芝生の庭にすることに決心をした。理由は一番簡単で費用も掛からない筈だからだ。

 下地が悪いので「張り芝」が手っ取り早いと思い、張り芝を探したが意外とこれが手に入らないのである。
 ようやく村の友人から、隣村に自分の山で野芝を栽培している人物がいることを教えられ、一日車で走り回って探し当て、交渉も成立、いよいよ搬入のはこびとなったが、その量の多さにはいささかたじろいだ。
 数日間隔で中型ダンプが張り芝を満載して我が別荘に搬入するのだが、その都度盛岡から女房と二人で別荘まで駆けつけ、暗くなるまで庭をはいつくばって労働に勤しんだ。これが終われば温泉に入れるというささやかな希望を持ちつつ。
 新たな発見だが、我が女房が以外にくそ力があるのにはいささかびっくりした。(今まで喧嘩をしなくて本当によかった。)
 野芝は山から来ただけあって雑草の宝庫のような感があった。もっとも雑草といって厄介者にするのは人間の勝手であって、もとより雑草という名の植物はない筈である。昔ある人が「名もなき雑草」とものの本に書いたところ、植物学の大御所、かの「牧野富太郎博士」から「名も知らぬ草」と言え、と大目玉をくった話も聞いたことがある。いい話ですねぇ。
 雑草、いや、「スギナ」「タンポポ」「桔梗」「オキナグサ」等々は、すでに花まで咲いていた。その他「名も知らぬ植物」たちもあり、こりゃあ先が思いやられる。そのうえ、暑い日はほのかに芝生から牛か馬の小便の匂いがほのかに匂ってくるではないか。そうか、これは放牧地から採ってきたな、などと推理しながら女房と黙々とネコ車で芝を運搬しては貼り付けていった。
 ようやく張り終わった頃にはすでに八幡平温泉郷は秋の気配が濃くなっていた。
 庭が完成したなら皆を呼んで庭でバーベキューをするのが夢だったが、どうやら今年は無理なようだ。
 几帳面な人が見たら「雑」の極致ともいえる庭だが、女房と二人だけで作った庭だけに妙に愛着が沸いてきた。
 人に自慢もしたいが、特に変哲もない野芝だけの、それもデコボコの庭なので、じっと我慢していたが書くこともないので面白くもない話をご披露する羽目となった。
 結局、今年は待望のバーベキューもしないうちに初雪に見舞われた。それも紅葉の真っ盛りの10月に。
 春になったら皆を呼んで庭でバーベキューをしようと思う。雪が解ける頃には牛の匂いも消えているだろうから。

 

                                        (菅原正俊)
 
 
  
                      
   
          温泉郷は自然がいっぱい

 八幡平温泉郷に引っ越してペンションを開業して満16年になった。
 16年ともなると完全なる村民である。10年目くらいまでは新村民・新住民と言う意識があったが、今ではほとんどそういう意識はない。
 16年前を振り返って見ると八幡平温泉郷も大いに様変わりしている。ペンションが増えた。
 県内では今やその軒数は安比に次いで多い。
 そしてバブルがはじけたにもかかわらず、別荘が増えた。
 休日前の夜、アスピーテラインから温泉郷を眺めると、百万ドルとはいかないまでもかなりの景観美である。
 別荘が増えるとともに、樹木が伐採される場合が多くなる。
 16年前、ペンションを始めようと敷地の造成を始めたとき、建築予定地の真ん中に見事な白樺が自生していた。
 その白樺の木を何とか生かそうと設計事務所と検討したが、あまりにも真ん中過ぎて泣く泣く伐採してしまった。
 建物を建築する際、極力敷地内の樹木を残したことが、春から夏にかけては程好い木陰を作り、真夏の涼しさをかもし出してくれている。 ただ、木陰になる庭の花々には迷惑のようであり、いまいち草花の生育が善くないである。
 ペンション開業当時、誰でも憧れるように庭を芝生にしようと試みた。大型ダンプカー数十台分の土を入れ、家内と二人で整地し、安く上げようと盛岡まで出かけて行って、芝生の種を買ってきて芝生の庭を造った。
 張り芝と違って種で蒔いた芝生の生長は早い。夏の暑い時期には一週間毎に芝刈りである。そして、芝生の手入れが大変だった。肥料をやり目土を入れ、通気のための穴を開け、朝夕の水やりと病気対策の薬剤散布。
 なんとも芝生とは手の掛かるもんだと一人合点した。
 したがって綺麗に手入れされた芝生のあるお宅は、尊敬の眼差しで眺めてあげないと大変失礼になる。
 もともと原野で雑木林だった所を開発した八幡平温泉郷である。自然がいっぱいは当然であり、自然と共生しなければ住めないところなのである。
 春にはタンポポが群生し開花し、その種が芝生に着陸し、ほっておくと春には黄色い花が芝生の庭を彩る。
 秋にはカメムシと格闘し、周りの木の葉が全部落ちて坊主になるのをジーと待って、それからおもむろに落ち葉の処理に掛かる。
 木や庭の無いマンションや、有っても猫の額のような植木も植えられず、芝生も作れないような家に住んで居て自然を理解できない人間、そんな人は温泉郷に住む資格はない。
  春には日一日と新芽が芽吹く様を楽しみ、夏には岩手山から来る涼風に涼み、秋には落ち葉の絨毯を敷き詰めた散策路を散歩し、冬にはしんしんと降る雪を眺めながら雪見酒としゃれる。自然いっぱいの温泉郷はなんと素晴らしいところではありませんか。
 とにかく八幡平温泉郷は自然がいっぱい。自然バンザイ。
 自然は友達、自然を大切にして自然と仲良くしようではありませんか。
 そんなこんなで16年だが、住むには最高によいところである。
 ペンション家業を抜きにして住みたいと思う今日この頃である。

        (ペンション エスペランサ    平野 行雄)
                  平野さんの思い出

 庭のナナカマドがようやくみずみずしさを取り戻した。一時はもう助からないものと半ば諦めていたものだったが、見事に息を吹き返した。生命の神秘的な強さを見せ付けられる思いがする。それにしても、このナナカマドを見るにつけ、最近特に前の持ち主だった平野さんを思い出す。あんなに元気だったのに … そしてこの上の素敵なエッセイを読むたびに…
 殺風景な別荘の庭を見るに見かねて、私の好きなナナカマドでもと、平野さんが自分のペンションから運んでくれたのが丁度2年前のことであった。
 植え込みの作業は、別荘を建てた匠工務店の遠藤さんと平野さんが手伝ってくれたが、私はというと最後まで脇役で実際の力仕事の大半はこの二人がやったようなものだった。
 ともあれ半日かけて移植は完了したが、 なにせ真夏の一番暑い時期なのでナナカマドにとってもとんだ災難であったに違いない。その辺の心配を話したところ、2人ともナナカマドは丈夫だから平気・平気、と一向に気にする様子もなく帰っていったが、 案の定、10日もしないうちに葉っぱが赤く色づきはじめ、ついにはほとんど散ってしまった。
 こりゃ〜だめだ、と思いつつも暇さえあればせっせと水をやっているうちに、一番上に新芽がちょっぴり出てきた時はまさに感動ものだった。2人に話したところ、葉っぱを落としたのは多分根が減って水を吸い上げる力が弱くなったので、自ら葉っぱからの蒸発を防ぐ為の行為ではなかろうか、との話だった。それにしても植物にこれだけの知恵があるとは…
 それから間もなくして平野さんが体調を崩し入退院を繰り返すようになった。
 当初こちらも軽く考えて、見舞いに行ってもほとんど遊び感覚で、いつものように馬鹿話ばかりしていたが、 ある日、「やっぱり肺がん」でしたとのメールに、ビックリして病院に駆け付けたところ、本人はいたって元気なので、ある程度は安心したものの、やはり気になり、くだんのナナカマドにはせっせと水のほかになんとかいう栄養剤なども与えて励ましつづけた結果、弱々しいとはいえ、なんとか回復の兆しも見え始めたのでいささかホットしたところであったが、このこだわりも、なんとなくこのナナカマドが平野さんの命と連動しているような気がしてならなかったからだ。
 そんな安心もつかの間、平野さんはまことにあっけなく逝ってしまった。2004年9月19日の朝のことであった。
 通夜、火葬、葬儀と、目の回るような儀式を奥さんは気丈にも涙も見せずに切り盛りしたが、ことのほか仲のよい夫婦だったので、余計胸に迫るものがあった。
 何時のころからか、朝起きるとまず最初に南側の窓を開け、今日の天候を確かめながら岩手山を眺めるのが習慣となった。
 そして、その手前には涼しげなあのナナカマドが立っている。ついつい平野さんを思い出してしまうのである。 
   (菅原 正俊)
                            バラの想い
 私、名前はウィミー、生まれはドイツで〜す。
 
ドイツから千葉の京成バラ園に移って、3年前に今の主人に買われてこの八幡平温泉郷の地に初めてやってきたの。
 そして、今年、7月はじめて、私は少女から乙女に変身しました。
 いままでの小さい蕾がふくらんできて、これまでむず痒かったピンク色の先っちょが静かに開き始めました。
 はじめて開くのです。恥ずかしい思いがして控えめに慎ましく、そおっと開き始めました。
 高原の冷気がさーと流れ込んできました。シースルーの朝霧が私のグリーンの衣裳を上品に包みこんでくれました。
 その朝霧の中を小半時佇んでいました。別荘地の朝はまことに静か。一寸の間、新聞配達の車のエンジン音が聞こえて、すぐ遠ざかり、また静寂にもどる。ときおり、遠くで犬の鳴き声がするけれどすぐに霧の中に溶け込んでしまう。
 カチャツと小さな音がして家のドアが開き、ガウンの帯を締めながら人がテラスに出てきました。
 この家の住人、私のご主人様です。痩せっぽっちだけどちょっとダンディー。
 「ゴホン、ゴホン」と2、3回。 年はもう70過ぎ。 サンダルをつっかけて庭に出てきました。
 100坪の庭を満足げに見渡していましたが、そのうち、視線が私の方にきて止まりました。
 「ん?」視線はそのままで足早に私の方に近づいてきます。「や、キレイ !」 突然のキス。  初めてのキス、ピンクの花びらがボーッと赤く染まってしまい、葉っぱからは露の汗がぽたり。
 その日、一日私は何をしていたのか、ぼぉーっとして覚えていません。
 それからというもの、毎朝、ご主人様はテラスから直行してはキスの雨。お仕事の日は、帰ってくると玄関に行かず庭口から私のところへ直行してはキスの雨。
 そのうちに、この事が奥様に露見してしまい、ご主人様が私のところに来ると決まって家の中から奥様の甲高い声が聞こえるようになってきたのです。
 この年、この夏は、私にとって幸せな日々でした。 だけど、それもそう長くは続きません。 季節はもう初冬です。 寒い北風が吹いてきます。 2、3日前には雪虫が飛んできて凍えた私の葉っぱの先にやってきました。
 以前のように初々しい顔をご主人様にお見せする力も気力もなくなって葉っぱを縮めて震えるばかり。
 と、初冬のある日、ご主人様がスコップを手に私の方にいらして急に私の足元を堀り始めるではありませんか。
 あ、裾の方までまくり上げられる。 一瞬、興奮してしまいました。 けれども、それは足元、裾の方にたっぷりと私の好物の牛糞、堆肥を投げ込んでくれたのを知って驚きが感謝の気持ちに変わりました。 振るえも止まりました。 上半身も丈夫な支柱の入った筵で温かく包んでくれました。
 その日、ご主人様は私の淋しい気持ちを考えてか京成バラ園の時の友達を数名私の側に植え足して下さいました。
 私はお蔭様で、一冬を淋しい思いもせず、そんなに寒くても感ぜずに過ごすことができました。
 そして、やがて、また楽しい華やかな春がめぐってきました。
 6月末のある朝、今まで張ち切れそうだった蕾を一気に開いてご主人様の到来を今か今かとお待ちして申し上げていたところ、その朝、ご主人様は静かに流れるクラシック音楽と一緒に庭に姿を見せました。その後に奥様の姿も見られます。
 あら、お二人とも私の前をスーッと素通りしてしまい、新参のピエール・ド・ロンサールの所で立ち止まったではないですか。
 「気品があって素晴らしいわね」
 「うん、香りも上品だ」  「ウイミーより肌がつややかね」
 「ウイミー太っちゃつたからだね」  「あなたが肥料をやり過ぎたのよ」  「うん、可愛がり過ぎたんだね」
 会話を聞いて屈辱感とピエールへの嫉妬で花びらはぶるぶると震えました。
 だけど、私、確かに、冬の間に食べ過ぎたことは事実ね。
 気を取り直して…  よ〜し、来年の春こそスリムになるわよ、見ててねー。
 そして、一年が過ぎ去り、20世紀最後の春が巡ってきたのです。
 今年は、私ももちろんですが他のバラ達も、6月に入ると、もう、何時もよりもそわそわと蕾を膨らませて始めています。
 私だけでなく、皆が例年よりも力んでいるには訳けがあるんです。
 待ちに待った7月1日、この日は、私は勿論、先輩後輩、仲間達みんなで、最大級のおめかしをしてのデビューの日なのです。
 午前中は小雨模様でしたが午後からは止みました。 お客さまが次々とといらして、「うわーっ、きれい」 「いいにおーい」 「かわいーい」の連発。
 私どもはみんな、誉められるのが大好き、ますます香水を振りまき、エクボをつくり、ウィンクをして魅惑します。
 その日からは、毎日次々と大勢の方々が私たちを見にいらっしゃいました。 ある日なんか、隣町から大型バスで50人ぐらいもいらしたのには一寸驚きました。
 それは「オープンディ」のことなの。 「オープンディ」っていうのはね、ガーデニングの盛んなイギリス全土で行われている行事なのです。 「オープンディ」の日はどんな方でも自由に庭を見られるのです。
 私達バラにとっても、一番美しい肌、いい顔色の時に見ていただいた方が嬉しいのは当然でしょ。 いくら私達の好物だといっても裾をまくられて牛糞を足元にいれられる頃に見られるのは恥ずかしいもの。
 今年はご主人様の家近くにイギリス庭園風ガーデンを持つ方が「オープンディ」をされるので、その日に合わせて協賛することになったのです。
 私たちにとって「オープンディ」は一年で最も輝かしい日なのです。
 私はその日のため、他の仲間、特にあの新参者のロンサールにだけは負けないようにと美容に気を配ってその日を待ちに待っていたのです。
 皆さんも、どうぞ、はるばるドイツからやって来たこのウィミーに逢いにいらして下さいね。
 お待ちしてまーす。
                                (鳥畑 良夫)
 
            しらかばの森だより
家のシラカバで遊ぶテン    庭に時々遊びに来るキツネ   巣立ち間じかのノスリの赤ちゃん   モリアオガエルの卵
 日に日に緑が濃くなり、朝夕の愛犬との散歩がとても気持ちが良い季節です。
 いろくな鳥たちの合唱の中を歩いていると聞きなれない鳥の声が、「カカカフォー」大きくそして響きわたるきれいな鳴き声、なんだろう、調べてみると多分セグロカッコウという珍しい鳥だと思います。 なき始めてからもう一ヶ月くらいになるので多分託卵したのかも知れない。
 それから今楽しみに観察している鳥がいます。 猛禽類のノスリです。 卵がかえり雛が時々見えます。
 刺激しないようにそっと通り抜けて貯水池の方へ進むとモリアオガエルの卵を発見。
 こんな風に毎日感動があります。 つい先日はカモシカとバッタリ、その時は約20秒くらいのにらめっこでした。 まあ、熊さんよりはいいですけど。 熊さんにも10メートルくらいの距離で会ったことがあります。
 ところで皆さんも時々夜、外に出てみませんか。 夜の鳥も楽しめますよ。 
 夜鷹の声「キョンキョンキョン」フクロウの声「ホーホーゴロスケホー」、本当にゴロスケホーなんですね。 面白いですね。
 野生動物と会った日はとても幸運で何かトクをした気になります。
 
りから楽しい野生動物との出会いや発見を皆さんに話したくて時々報告させて下さい。
                        (佐々木 潔)